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東京高等裁判所 昭和39年(ネ)2844号 判決

控訴人 冨士電興株式会社

被控訴人 木村忠一

主文

原判決を次のとおり変更する。

被控訴人は控訴人に対し別紙〈省略〉第三目録記載の約束手形にもとづく訴外木村プレス機械株式会社の手形債務を担保するため別紙第一目録記載の各不動産につき抵当権設定登記手続をせよ。

控訴人その余の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審を通じてこれを二分し、その一を控訴人の、その余を被控訴人の各負担とする。

事実

一、控訴代理人は、「原判決を取消す。被控訴人は控訴人に対し別紙第一目録記載の各不動産につき昭和三八年五月四日東京法務局墨田出張所受附第一三一一四号根抵当権設定仮登記の本登記手続をせよ。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」旨の判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

二、当事者双方の事実上の陳述は次のとおりである。

(1)  控訴代理人は、請求の原因として、

「控訴人は、昭和三八年三月一日訴外木村プレス機械株式会社(以下単に木村プレスと称する。)との間に、『訴外木村プレスが控訴人に対し現在負担し或は将来負担すべき借入金債務及び訴外木村プレスの振出、引受、裏書、保証にかかる手形上、小切手上の債務の元金極度額を金一〇〇〇万円と定め、右各債務の履行につき遅滞に陥つたときは、訴外木村プレスは期限の利益を失い残債務金額を一時に支払うべく、期限後日歩三銭の割合による遅延損害金を支払うべきこと』を約定すると共に、同日被控訴人との間に、『被控訴人は訴外木村プレスの叙上債務の履行を担保するため、被控訴人所有の別紙第一目録記載の各不動産の上に、元金極度額一〇〇〇万円の根抵当権を設定し、且つ右債務不履行を停止条件とする所有権移転請求権保全の仮登記をする』旨の契約をした。従つて、被控訴人は右契約の結果控訴人に対し約旨に従う根抵当権設定登記及び請求権保全仮登記の各手続をする義務があるのにこれを履行しないので、控訴人はやむなく順位保全のために昭和三八年五月一日東京地方裁判所の仮登記仮処分命令を得て同月四日前記各不動産の上に前記の如き根抵当権設定及び停止条件付所有権移転請求権保全の各仮登記を経由した上、被控訴人に対し右根抵当権設定仮登記に対する本登記手続を求めるため本訴に及んだ。」旨陳述し、なお、

「被控訴人は、本件根抵当権設定契約当時、右設定登記手続に必要な書類のうち、住民票、印鑑証明書、登記申請委任状を控訴人に交付したが、登記済権利証だけは第一順位抵当権者が保管中であると称して後日これを交付する旨約した。然るに、被控訴人はその後いつまでもこれを控訴人に交付しないので、控訴人は保証書により登記手続をしようとしたが、その頃訴外木村プレスの経営破綻から同訴外会社の債権者らが同社事務所を占拠する事態を生じ、同訴外会社代表者である被控訴人が登記所送付の通知書に押印返送する見込が事実上なくなつたので、遂に登記手続ができないまま今日に至つたものである。」旨釈明し、被控訴人の抗弁に対し、

「根抵当権は、設定当時当事者間に被担保権債権が現存していなくても成立する。しかも、本件根抵当権設定契約当時控訴人と訴外木村プレスとの間には従前からの基本的取引関係が依然存続していた。もつとも、当時控訴人から同訴外会社に対する新規発注が見合わされていた関係上、従前発注の工作機械につき納品、検査(立会試験)、代金決済、修理、補正等付随の業務が残存していたに止まるけれども、それだからといつて双方の間に明示の解約合意のない以上右基本的取引関係が当然に終了すべきいわれはない。それ故、本件根抵当権設定契約は有効に成立したものであつて、被控訴人の(一)の抗弁は理由がない。また、控訴人は本件根抵当権設定契約にあたり、訴外木村プレスに被控訴人主張の如き金員を貸付けることを約束したことはない。そもそも、控訴人と同訴外会社との間の取引関係につき根抵当権の設定をすべきことは、既に昭和三七年二月八日控訴人と被控訴人との間に包括的な合意に達していたものであつて(甲第二号証はこの合意を証するため作成された念書である。)、昭和三八年三月一日に至り被担保債権の範囲を限定縮少して本件抵当権設定契約に及んだものであるが、その際は、前記包括的合意に拘らず被控訴人が容易に根抵当権設定契約に応じなかつたことや訴外木村プレスの営業成績の芳ばしくなかつたことなどから、控訴人は木村プレスの運転資金借受要望に対し一貫して拒否の態度をとつていたのであつて、貸付の約束をする筈がない。それ故、右貸付の約束があつたことを前提とする被控訴人の(二)(三)の抗弁はいずれも理由がない。更に、控訴人と訴外木村プレスとの間には昭和三七年以来プレス機械の製作請負に関する取引関係が継続し、控訴人が同訴外会社に報酬金前渡又は製作資金貸付によつて取得した債権が同三七年四月以降同三八年二月までの間累計して総額金一〇七九万円に達したので、本件抵当権設定契約を締結するに至つたのであるが、その後控訴人は同訴外会社との間に発注済未完成の別紙第二目録記載の各機械を合計金五二九万円と評価してこれを控訴人に引渡し、右評価額を前記債権総額から控除した残額金五五〇万円をもつて同訴外会社の控訴人に対する残債務額と確定すべき旨の和解契約が成立した(甲第三号証は右和解契約の証書であり、その日付は実際和解契約の成立した日より過去にさかのぼらせ、本件設定契約の日である昭和三八年三月一日と記載してある。)。そして右残債務は未だ弁済されていないから、本件根抵当権の被担保債権は現に残存しているのみならず、仮りに残存していなくても、控訴人と訴外木村プレス間の基本的取引関係は前記のような理由で未だ断絶するに至つていないから、本件根抵当権の消滅すべき理由はなく、被控訴人の(四)の抗弁もまた当らない。」と答えた。

(2)  被控訴代理人は、答弁として、

「昭和三八年三月一日控訴人主張の如き各契約が締結されたことは否認する。控訴人主張の各仮登記に関する主張事実は不知。もつとも、被控訴人は、控訴人が訴外木村プレスに対し機械製作請負報酬金の支払を担保する趣旨で保証金を消費寄託し且つ将来同訴外会社に金員の貸付(請負報酬金の前渡とは関係なく)をするならば控訴人主張の如き根抵当権設定契約を将来締結すべき旨約定したことはある。しかし、その後控訴人において右消費寄託及び金員貸付を実行しなかつたから、被控訴人には右根抵当権設定の義務はなく、従つて右設定契約を締結するには至らなかつたのである。」と陳述し、抗弁として、

「仮りに、控訴人主張の如き根抵当権設定契約が締結されたとしても、(一)右契約当時被担保債権は現存せず、しかも控訴人と訴外木村プレスとの間の取引関係は既に断絶していて将来右取引関係にもとづく債務の発生すべき余地もなかつたから、抵当権の附従性から見て右契約は効力を生じない。(二)仮りに、効力を生じたとしても、本件根抵当権設定契約は、控訴人が訴外木村プレスに金員を貸付ける意思がないに拘らず、合計金一〇〇〇万円にみつるまで随時金員を貸付けると言つて被控訴人を欺き締結させたものであるから、被控訴人は本訴において詐欺を理由として取消す。(三)仮りに、右抗弁もまた理由がないとしても、本件根抵当権設定契約により、控訴人は訴外木村プレスに対し合計金一〇〇〇万円にみつるまで金員を貸付ける債務を負担したものであるところ、控訴人は右貸付の債務を履行しないから、被控訴人は控訴人の右債務不履行を理由として本訴において右契約を解除する。(四)以上の抗弁がいずれも理由がないとしても、本件根抵当権設定契約成立後控訴人と訴外木村プレスとの間の基本的取引関係は断絶し、右取引関係にもとづく債務も残存していないから、本件根抵当権は既に消滅した。」と述べ、なお、

「昭和三八年三月一日現在訴外木村プレスが仮りに控訴人に対しその主張の金一〇七九万円の債務を負担していたとしても、当時同訴外会社は控訴人に対し別紙第二目録記載の機械類の製作報酬金債権合計金一〇三四万円、その他の機械製作報酬金債権残合計金九三万円、以上総計金一一二七万円の債権を有していたから、差引計算をすれば訴外木村プレスの方が控訴人に対し金四八万円の精算残債権を有することになるのである。控訴人主張の如き和解契約成立の事実は否認する。甲第三号証の契約書は、被控訴人が病気入院中危篤状態に陥つた昭和三八年三月二一日頃、被控訴人の妻訴外木村イトが、金員を貸付けてくれるという控訴人の虚言を信じて、被控訴人の開腹手術直前の忙しさから、内容を読みもせず、被控訴人に代つて調印した書類であり、日付内容ともに真実に合致しないものである。また、被控訴人が控訴人に対しその主張の如き住民票その他の書類を交付したことは認める。ただし、それらはいずれも控訴人から訴外木村プレスに前述の保証金を交付し且つ金員を貸付けてくれるものと信じ、その前提のもとに交付したにすぎない。」と付加した。

三、証拠関係〈省略〉…………ほか、原判決事実摘示欄の記載と同一であるから、ここにこれを引用する。

理由

成立に争いのない甲第一号証によれば、控訴人と訴外木村プレス機械株式会社(以下単に木村プレスと称する。)との間及び控訴人との間にそれぞれ控訴人主張の日その主張の如き各契約が成立した事実を認めることができる。原審における被控訴本人木村忠一の供述(第一回)中右認定に反する部分は信用し難く、他にこれを覆すに足りる証拠はない。

そこで、まず、被控訴人の抗弁(一)について考えるに、根抵当権は一定の継続的関係にもとづき現に生じまたは将来生ずべき債権を、その増減にかかわらず、将来の一定時において一定額まで担保することを目的とするものであるから、必ずしも設定契約当時被担保債権が現存することを要するものではなく、右継続的関係にもとづき将来被担保債権の発生すべき可能性が存すれば足りるものと解すべきである。本件についてこれをみるに、前顕甲第一号証に原審証人加藤奎而(第一、二回)、同川上嘉一郎、原審証人木村イト、原審並びに当審証人安武知晴、同高木右門の各証言の一部をそう合すると、本件根抵当権設定契約当時控訴人は従前から継続していた訴外木村プレスに対する機械製作請負の注文を一時中断していたけれども、将来同訴外会社の業績好転を見るに至れば、引続き発注を行うと共に同訴外会社に対する金員貸付、手形取引にも応ずべき意向のもとに右設定契約の申込をなし、被控訴人もこれを期待して右申込に応じたものであつて、将来右金員貸付、手形取引にもとづく債権債務が控訴人と同訴外会社間に発生すべき可能性は存在したことを肯認できる。前顕各証人の証言中右認定と相容れない部分はいずれも採用しない。それ故、被控訴人の(一)の抗弁は、本件設定契約当時における被担保債権の存否を審究するまでもなく、排斥を免れない。

次に原審証人木村イトの証言、原審並びに当審における被控訴本人木村忠一の供述中には、それぞれ被控訴人の(二)の抗弁にそうが如き部分があるけれども、たやすく信用し難く、他に本件根抵当権設定契約が控訴人の詐欺によつて成立したものと認めるに足りる証拠はない。却つて、控訴人が本件設定契約を申込むに至つた事情が前認定の如くであることに前顕加藤、川上両証人の証言の各一部を参酌すると右契約成立にあたり控訴人側が被控訴人主張の如き詐術を弄したことはなかつたものと認められる。よつて、被控訴人の右(二)の抗弁も採用しない。

更らに本件の如き根抵当権設定契約には、抵当権者に被担保債権発生の原因たるべき金員貸付、手形取引をなすべき債務を負担させるものと然らざるものとがあり得るが、前顕甲第一号証の文言及び控訴人が本件設定契約を申込むに至つた前認定の事情をそう合すれば、本件根抵当権設定契約は抵当権者たる控訴人に叙上の如き債務を負担させるものではないと認めるのが相当である。それ故、右債務の存在を前提とする被控訴人の(三)の抗弁はその前提において既に失当である。

よつて進んで被控訴人の(四)の抗弁につき以下判断する。

本件根抵当権設定契約成立当時、控訴人において訴外木村プレスに対する機械の発注を中止しており、同訴外会社の業績が好転すれば引続いて発注すると共に金員貸付及び手形取引に応ずべき意向であつたことは前認定のとおりであるところ、その後本件口頭弁論の終結に至るまで、同訴外会社の業績は好転せず、控訴人と同訴外会社との間に右発注は勿論金員貸付、手形取引等が全く行われていないことは前顕証人木村イトの証言、原審及び当審における被控訴本人木村忠一尋問の結果及び本件弁論の全趣旨によつてこれを認め得べく、しかも、本訴において控訴人と訴外木村プレス間に従前行われた諸取引の清算尻が控訴人の受取分となるか同訴外会社の受取分となるかにつき控訴人と同訴外会社の代表者である被控訴人との間で主張が対立して相ゆずらないことは当裁判所に顕著な事実である。これらの諸事実を考えあわせると、本件口頭弁論終結当時本件根抵当権設定契約の基本たる金員貸付、手形取引に関する継続的関係にもとづき将来債権債務の発生すべき可能性はもはや全くなくなつているものと認めるのが相当であつて、この意味において本件根抵当権設定契約の基本たる継続的関係は既に実質上終了したと解すべきである。控訴人はこの点につき本件根抵当権設定契約の基本たる取引関係は当事者間に合意解約が行われた事実のない以上依然存続している旨主張するけれども、根抵当権が抵当権の一態様として是認される所以のものは、その基本たる継続的関係から債権債務の発生する可能性が存するからであつて、たとえ右継続的関係の基礎となつた合意につき形式的な解約等による解消が行われなくても、右継続的関係にもとづく債権債務発生の可能性が事実上失われ、右合意が単にその形骸を止めているにすぎない状態に立至つた場合には、根抵当権の基本たる継続的関係は既に終了したものと解すべきものであつて、控訴人の右主張は採用し難い。

そうであるとすれば、本件口頭弁論終結当時、前記抵当権設定契約にもとづいて成立した根抵当権は既に根抵当権の実質を失つているものであつて、ただ既存の被担保債権があればこれのみを担保すべき単純な抵当権と化したものといわなければならない。

そこで、進んで、本件弁論終結当時前記根抵当権の被担保債権たり得べき債権があつたかどうかを考えるに、右根抵当権設定契約以後かかる債権の成立したことがないことは前認定の事実から明白であり、また、控訴人提出の甲第三号証には、「昭和三八年三月一日当時控訴人は訴外木村プレスに対し金一〇七九万円の貸金債権を有していたところ、同訴外会社から控訴人に対し別紙第二目録記載の機械四台を合計金五二九万円と評価して譲渡した結果控訴人の残債権は金五五〇万円となつたことを双方が確認する」趣旨の記載並びに控訴会社及び同訴外会社の各代表者の記名押印があるけれども、これを前顕証人木村イトの証言並びに原審並びに当審における被控訴本人尋問の結果に対比すると同号証中訴外木村プレス関係部分が真正に成立したものとは認め難く、その余の部分だけでは同日現在控訴人に同記載の如き残債権のあつたことを肯認するに足りない。また、前顕証人加藤奎而(第一、二回)、同川上嘉一郎、安武知晴及び当審証人新川晴美の各証言中本件根抵当権設定契約成立当時までにおける控訴人と訴外木村プレス間の債権債務に関する部分は、同証人らが「機械製作請負報酬金の前払は法律上金銭の貸付にほかならない。」との速断にもとづいて陳述していることがうかがわれるので、これだけで直ちに訴外木村プレスが当時控訴人に対し本件根抵当権設定契約にいう借入金債務を負つていたと断定するわけにはいかない。しかし、当審証人新川晴美の証言及び成立に争いのない甲第二一号証によると控訴人は訴外木村プレスに対し別紙第三目録記載の手形にもとづく手形債権を現に有するものと認めざるを得ない。

被控訴人は、右甲第二一号証は控訴人から訴外木村プレスに請負報酬金前払のため振出交付した約束手形の見返りとして同訴外会社から控訴人に振出交付した預り手形であつて、金銭の支払を目的としたものでないのみならず、その後右前払を受けた機械は同訴外会社において完成の上控訴人に引渡済であるから、前記甲第二一号証の手形は控訴人から同訴外会社に返還さるべき筋合のものであると主張し、被控訴本人木村忠一は当審における尋問にあたり右主張にそう供述をするけれども、これを前顕新川証人の証言に対比するとたやすく信用し難い。

なお、成立に争いのない甲第九ないし第一五号証の各一、二、同第一六号証の一、二、三、同第一七ないし第二〇号証の各一、二も、昭和三七年九月頃以降同三八年一月頃までの間控訴人が訴外木村プレスに対し機械製作請負報酬金の一部を、着手金、契約金、中間支払金、残金等の各名下に支払つた事実を認めさせ得るに止まり、同訴外会社が控訴人に対し、別紙第三目録記載の手形債務以外に、前示根抵当権設定契約にいう借入金ないし手形上の残債務を負つていることを証するに足りない。

そうであるとすれば、控訴人は被控訴人に対し本件根抵当権設定契約にもとづき根抵当権設定登記を求めることはできないけれども、右契約の基本たる取引関係終了後残存する別紙第三目録記載の手形債務につき単純な抵当権設定登記を求めることができるものというべきであり、控訴人の本訴請求にはこのような抵当権設定登記を求める趣旨をも包含するものと解すべきであるから、控訴人の本訴請求は右の限度でこれを認容し、その余を棄却するのが相当であつて、これを全部棄却した原判決は変更を免れない。

よつて、訴訟費用につき民事訴訟法第九六条第九二条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 川添利起 坂井芳雄 蕪山厳)

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